再生塾

相対世界と絶対世界

デカルトの二元論以来か、或いはニーチェが神を殺してしまって以来か、人間は絶対者不在の儘システムを空回りさせているとも言え、高次元の世界と断絶した儘21世紀を迎えようとしている。 大事なのは高次と低次の連続性であり、この相対世界に於ては絶対世界抜きには全てが虚しく、目的意識が希薄になり無駄になる。

何事も目的以外は全て手段であり、生きる目的を失った儘生きる手段に振り回されるのは芳しくない。社会がどんなに複雑化しようとも、科学が如何に発達しようとも、手段が目的を離れて二元化している限りは何も解決されない。

人間はこの、他との比較に於てしか自分を知る事が出来ない相対世界で、争い、環境を破壊する事しか出来ず、この肥大化した物質文明の下で、自分を見失い、拠り所を失ってアイデンティティー・クライシスに陥り、常に絶対的なものを求めて悩む。

言わばこの世界は、絶対世界(死)を知る為の相対世界(生)の様なものである。つまり人間は、死後の絶対的な世界の為に、この地球上で学んで死ぬ為に生きている様なものである。 中世ヨーロッパの人は「メメントモリ(死を想え)」と常に胸に刻んで生きていたそうであり、イタリア・ルネサンス期メディチ家のコジモ・ディ・メディチの座右の銘だったそうである。 人間は生まれた時から死に向って進み、死を憂い、死後の世界を想う。

地球は無限永遠の世界ではなく、いつかは滅びる運命にあり、早く幻想の全能感を捨て、絶対的な世界を見つめないと元も子も失う事になり兼ねない。

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